南京大虐殺の幻影 「南京大虐殺」説の怪、その根拠

■「南京大虐殺」説の怪

軍規を徹底させて行われた南京攻略戦に対して、敗戦後、突如として「南京大虐殺」という言いがかりがなされたのである。何と、この戦いで30万人のシナ人を殺したというのだ。この『大虐殺』が最初に言われたのは、言うまでもなく東京裁判の法廷であった。

東京裁判で主張された「南京大虐殺の真相」なるものは以下のとおりである。

1. 南京落城後の数日で、非戦闘員の中国人が少なくとも12,000人殺害された。
2. 占領後、一か月の間に約20,000の強姦事件が起こった。
3. 同じく6週間に渡って略奪・放火が続けられ、市内の1/3が破壊された。
4. 降伏した中国兵捕虜30,000人以上が殺された。
5. 占領後6週間で殺された一般人・捕虜の総数は20万人から30万人に上る

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【出典】http://shibayan1954.blog101.fc2.com/ より

敗戦後これを聞かされた日本人の多くは、話を真に受けてしまった。ミッドウェー海戦後の戦時中の大本営発表が如何に出鱈目であったかはすでに有名だったから、「こういうことがあっても可笑しくない」と考えたのも無理はない。実は、私もそのの一人であった。

しかし、時間が経つにつれて、「南京大虐殺」には不審なことが多過ぎるのではないかと思うようになった。しかも、その思いは募る一方である。そこで、何故私が南京大虐殺を疑うようになったのか、その理由をいくつか紹介したいと思う。

1. 何故、誰も「虐殺」を知らなかったのか

理由の第一としては、「仮に南京大虐殺が行われていたとしたら、何故日本人は戦後になるまでの長い間、誰も知らなかったのか」ということである。これには二つの可能性が考えられる。一つは、徹底的な報道管制を敷いて報じさせなかったという可能性で、もう一つは、日本軍が虐殺の現場を一切隠して誰にも見せなかったという可能性である。

まず前者の方だが、報道規制の可能性は限りなくゼロに近い。何故なら、報道管制が行われる様になったのはもっと後になってからであり、当時は戦争報道に関しては略自由であったからだ。これは、南京入城に際して百人以上の記者やカメラマンが同行していることでも明らかであろう。この記者の中には、外国人ジャーナリスト5名も含まれている。

また、多くの日本人ジャーナリストや作家が、陥落直後の南京を訪れて見聞記を書いている。大谷壮一、西條八十、草野心平、杉山平助、木村毅、石川達三、林芙美子といった面々がそれだが、報道管制を敷くぐらいであれば、最初から彼らを入れなかったはずである。しかも、これらの人々が戦後「南京虐殺見聞記」という本を書いたとか、あるいは大虐殺の証言をしたという事実もない。

【南京大虐殺の証拠写真は捏造】

また、戦後になって、日本の大新聞で「南京大虐殺の証拠写真」なるものが発表されたことがある。しかし、これらの写真はすべてインチキ、或いは虐殺とは何ら関係がないことがわかり、今では使用されなくなった。それは累々と横たわる死体や、中国兵を日本兵が殺しているところを撮ったものであったが、よくよく調べてみた処、中国兵が馬賊を殺した時の写真であったり、或いは戦後に作られた映画のトリック撮影であったことが判明したのである。

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【出典】http://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/

【南京大虐殺の現場を誰も見なかった】

では次に、虐殺の現場を彼らに見せなかったという可能性は、どうであろうか。こちらも、ほとんど考えられないことである。というのも、南京の面積は東京の世田谷区よりも小さく、鎌倉市と同じくらいである。この狭い地区の中で、10万人を超えるシナ人が虐殺されていれば、一人ぐらい「累々と積み上げられた死体を見た」とか、「虐殺の現場を見た」というジャーナリストや文学者がいてもいいはずである。

いや、少なくとも死臭ぐらいは嗅いでいるはずである。ところが彼らは誰もそんな報告をしていないのである。これは、一体何を意味するのであろうか。

2. 抗議すらしなかった中国政府

第二の理由としては、「仮に南京大虐殺があったとしたら、何故当時の国際社会で問題にならなかったか」ということである。

百歩譲って、いかなる理由からか、日本人が戦前に大虐殺のことを知らずにいたとしても、外国人の口に戸は立てられない。しかも当時の国際社会は、日本軍のシナでの行動に対して批判的であった。すでに日本は国際連盟からも脱退しているのだ。

そのような時期に南京で民間人を虐殺していれば、これは非難の的になっていたはずである。当時の南京には多くの欧米人がいる。国民政府の首都に住んでいるくらいだから、みな反日的な立場の人である。また、シナ大陸にはロイター、AP、UPIといった大通信社や、新聞社の特派員たちが多数駐在している。

【国際社会で正式ルートで避難上がらず】

ところが実際には、当時の国際社会で「南京の暴虐」ということを正式のルートで非難する声は上がっていない。ニューヨーク・タイムズやアメリカの地方紙のの中には「大虐殺があった」と伝える記事もあるが、その内容は逆立ちしても何十万人という数になるものではない。便衣隊(あるいは気の毒にもそれと間違われた市民)の処刑を見て、誤解したものと推定される。

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【出典】http://blog.livedoor.jp/hirohiko24-bokepuri/ より

私はかつて、アメリカ『タイム』誌の戦前のバックナンバーを全部調べたことがあるが、そこには一つとして、日本軍が南京で万単位の虐殺をしたというような話は書かれていない。私が見落としたとは思えないが、少なくとも私の目には止まらなかった。それどころか、南京での日本軍の占領政策を褒めているぐらいである。

【中華民国の政府の代表さえ抗議せず】

なにしろ、被害者であるはずの中華民国政府の代表さえ、国際連盟の議場で「南京虐殺」のことをとり上げなかった。日本軍による南京空爆の際、民家に落ちた爆弾があると言って国際連盟に訴えた中国政府が、南京大虐殺なるものについて抗議もしていないのは何故か。

また、中京軍にしても、負けた南京の中国軍を非難したことはあっても、日本軍を非難したことはない。さらに、米英仏などの国から、公式に日本政府に抗議が寄せられたという事実もない。

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【出典】http://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/ より

ただ、ここで公平を期すために、英国『マンチェスター・ガーディアン』紙の特派員ハロルド・ティンパリーというオーストラリア人記者が、南京陥落の半年後、『外国人の見た日本軍の暴行』なる本を書いたことを記さねばならない。この本は事実上、唯一の「南京虐殺」の記録ということになっている。

ところが問題は、この筆者が一度も南京に行かずにこの本を書いたということである。つまり、この本に書かれている話はすべて伝聞証拠であって、信頼性に欠けるのである(その後の北村稔氏や東中野修道氏による精密な研究により、彼は中国政府に傭われていて、反日プロパガンダとしてこれを出したことが分かった。だからこれを公式に利用した抗議が国際社会からでなかったことは当然であったと、今では理解出来る)。

戦場での話というおは、得てして尾ひれがつきやすいものである。しかも、シナは昔から「白髪三千丈」の国である。そのような電文を集めた本しか「南京虐殺」の証拠がないというのは、いかがなものであろうか。

3. 非現実的な「大量虐殺」

【それだけの大虐殺は組織的・計画的でないと不可能】

第三の理由としては、「仮に南京大虐殺があったとしたなら、そのような大虐殺は誰が命じ、いかにして行われたか」ということである。南京では20万人から30万にのシナ人が殺されたとされた訳だが、これだけの人間を殺すのは、その場の激情や思い付きでなし得るものではない。

昭和20年(1,945)3月10日の東京大空襲では、300機のB29が1,665トンの焼夷弾を投下した訳だが、このときの死者は8万人強である。また、広島・長崎の原爆投下による死亡者は、凡そ20万人である。この数字を見れば分かるように、もし世田谷区に満たない広さの地域で20万人以上の人を殺そうとすれば、これは事前に入念な準備をして、そのための設備も用意せねばならない。

【指揮官の松井大将は陸軍きっての日中友好論者、軍規を徹底】

ところが、現実はどうであったか。南京攻略を前にして、松井将軍は全軍に軍規の徹底を呼び掛けているが、その訓令はまことに具体的なものであった。

「外国の外交機関に接近してはいけない」とか「たとえ不注意であっても、失火した者は厳罰に処す」といったことから、「南京城外にあった孫文の墓(中山陵)や革命志士の墓に立ち入ることを禁ずる」という処までに及んでいるのである。敵側の人間の墓にまで近づくなという命令を出し、国際社会から後ろ指を指されまいとした司令官が、同時に大虐殺の計画まで用意していたとは、常識では考えられないことである。

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【出典】http://www.are-you-happy.com/ より

それに当時の日本軍には、住民を20万人も殺せるほどの弾丸の余裕もあるはずがない。いや、日本軍に限らず、鉄砲の弾と言うのは高価なもので、管理も厳しい。それをすでに占領している都市の住民を殺すために使用するというのは、当時の日本軍の経済的理由から見ても許されるはずはないのである。

4. 南京の人口がひと月で5万人も増えた理由

第四の理由としては、これが最も不審なところであるが、「仮に南京大虐殺があったとしたら、殺された20万~30万の人は、一体何処にいたのか」ということである。

陥落前後、南京にいた一般市民の数については色々な記録があるが、最も信頼出来る数は、安全地区を管理していた国際安全委員会の発表であろう。この委員会の調査によれば、南京陥落直後の非戦闘員の総数は推定で20万人。委員会は実際に市民の保護に当たっていた訳であるから、これはかなり正確な数値であろう。

一方、この南京を守備していた軍隊の数は、公文書によると5万人ということである。つまり、南京に日本軍が迫る前にいた南京の人口は多くても25万人という訳で、東京裁判の検事団が言っている虐殺の数字は、南京にいたすべての人間を殺したと言っているのに等しい。

この記録を見ても、10万人単位の虐殺が起こり得ないことは直ちに理解出来る訳だが、さらに重要ななのは、陥落から日が経つにつれて、南京の人口が増えているという事実である。陥落から一ヶ月後に、安全委員会の発表した南京の人口は25万人。すなわち、ひと月で5万人近くも増えた訳である。

これは南京の治安が回復したのを見て、それまで郊外に避難していた人が帰ってきたためである。当時の新聞報道を見ると、陥落後の復旧は急ピッチであり、陥落から3週間経った正月には電気や水道も回復したという。

東京裁判によると、虐殺は数週間に渡って続いたというが、それなら何故南京に市民がもどってきているのであろうか。これも理解に苦しむところである。東京裁判でいうような虐殺は実際には存在しなかったと結論すべきである。

【出典】「昭和大戦の道 日本の歴史6 昭和編」渡部昇一

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