時代の節目には、歴史の流れを変える傑出した人物が出現します。日本の歴史上の偉人たちについて、まとめてみました。

■飛鳥時代|日本近代化の黎明期の偉人

●聖徳太子(574年~622年)

用明天皇の第二皇子として生まれ、女性の推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を取り入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめました。日本で最初に世界遺産(文化遺産)に指定された法隆寺は、法隆寺は飛鳥時代を伝える日本最古の木造建築で、聖徳太子が亡き父用明天皇のため建立を発願されたもの。

聖徳太子といえば「10人の話をいっぺんに理解できる」なんて伝説がありますが、これは聖徳太子を神格化するために作られた「作り話」であると言われている。

●小野妹子(6世紀 – 7世紀、生没年不詳)

飛鳥時代、推古天皇のときに、聖徳太子によって遣隋使として中国に派遣され、日本と中国が対等の関係で国交を開こうとした凄腕外交官である。遣隋使の活躍によって、中国の進んだ学問や文化、技術が日本に入ってくるようになり、のちの大化の改新の原動力となった。

●空海(弘法大師、774年~835年)


・高野山金剛峰寺

空海は最澄と共に遣唐使の一員として中国に派遣され、わずか2年で密教をマスターし日本に戻り真言宗を開く。嵯峨天皇から下賜された高野山に、修禅の道場として金剛峯寺を建立し、真言宗を広めることに尽力した。

●最澄(伝教大師、767年~822年)


・延暦寺 根本中堂

桓武天皇から遣唐使の一員として中国に派遣され、仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。それまでの日本で主流だった法相宗は、「人は生まれた家柄によって仏にもなれる人もいれば、なれない人もいる」という教えでした。また、仏教が政治に深く関わり過ぎて世が乱れまくっていた。最澄の天台宗の教えは、「人は誰でも仏になれる 人間の他に、この世の全てのものが仏になることができる」と説いたので、天台宗は庶民の心の拠り所となり、皆に勇気と希望を与えたと言われている。

■武家社会を確立した偉人

●源頼朝(1,147年~1,199年)

源頼朝は、初めて武士による政権である鎌倉幕府を作った初代鎌倉幕府将軍。河内源氏の源義朝の三男として生まれる。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王(後白河法皇の皇子)の令旨を受けると、北条時政、北条義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。

●足利尊氏(1,305年~1,358年)

室町幕府初代将軍。鎌倉幕府より後醍醐天皇討伐の命を受けるが、反旗を掲げ六波羅探題を滅ぼす。のち天皇と対立を深め、建武式目を制定して幕府を開き征夷大将軍となった。以後、吉野の南朝、弟直義と抗争を続けた。

●織田信長(1.534年~1,582年)

尾張国の古渡城主・織田信秀の嫡男。1,560年桶狭間の戦で今川義元を倒し、1,562年三河(みかわ)の松平元康(徳川家康)と同盟を結ぶ。天下統一への手始めとして1,567年美濃の斎藤氏を滅ぼした後、翌年足利義昭を擁して上洛するが、義昭との不和から1,573年彼を追放し室町幕府を滅ぼした。

1,570年姉川の戦で浅井・朝倉両氏を破り、1,571年彼らと結ぶ比叡山延暦寺を焼き打ちし、さらに伊勢長島の一向一揆を鎮圧。1,575年長篠の戦で武田勝頼の武田軍を破り、石山本願寺と和議を結び、毛利氏征討を進めたが、明智光秀に本能寺の変で攻められ、全国統一の業半ばで倒れた。1,576年安土城を築き、安土桃山文化の基礎を固め、キリシタン文化の摂取、関所の撤廃、楽市楽座、検地等の革新政策を行なった。

●豊臣秀吉(1,537年~1,598年)

織田信長の足軽木下弥右衛門の子、尾張中村の生れ。初め木下藤吉郎のち羽柴筑前守。1,558年から織田信長に仕える。清洲城普請、墨俣築壘次いで京都警備、江北出陣と戦功を重ね1,573年近江を与えられ長浜城主となる。

信長の天下統一が西国におよぶと命に従って転戦。1,582年播磨、但馬、因幡、淡路を征し、備中高松城に毛利軍と対陣中に本能寺の凶変を知った。秀吉は逸早く和睦して軍を返し、山崎に謀反人明智光秀を討ち、柴田勝家を倒して信長の統一事業を継承。

四国征伐・九州征伐を行い、1,590年には小田原北条氏を滅ぼし、さらに奥州を平定して天下統一を完成。さらに 1,592~98年に文禄・慶長の役で朝鮮に軍を送ったが失敗し、戦役中に没した。1,585年に関白、1,586年太政大臣となり豊臣の姓を賜った。織田信長の政策をほぼ継承したが、太閤検地の施行、刀狩などの画期的な新政策で近世封建社会の基礎を確立した。

●徳川家康(1,543年~1,616年)

徳川幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の長男。6歳の時、人質として駿府の今川義元のもとへ行く途中を織田方に捕らえられて尾張に送られ、広忠の死後、今川・織田間の捕虜交換協定によって駿府に赴く。

桶狭間の戦で今川義元が倒され岡崎にもどり、信長と結んで勢力を拡大、信長歿後は豊臣秀吉と対立するが和睦し、秀吉の天下統一に協力する。1,570年姉川の戦で織田信長とともに浅井・朝倉連合軍を撃破。同年10月武田信玄と絶って上杉謙信と同盟,1572年三方原の戦で信玄に大敗した。1,575年長篠の戦で家康・信長連合軍は武田勝頼の軍に大勝。1,582年信長が武田氏を滅ぼして家康は駿河を手に入れた。

本能寺の変後甲斐・信濃の帰属をめぐって北条氏直と対立、甲・信2国の領有を認めさせる和睦に成功し、駿・遠・三・甲・信の5ヵ国を領有する大大名となった。1,584年信長の子信雄(のぶかつ)を助けて小牧・長久手の戦で豊臣秀吉に大勝したが、信雄が秀吉に屈服したので家康も秀吉と和睦。以後秀吉の死まで家康は秀吉指揮下の有力大名という地位にあった。

1,590年秀吉の小田原征伐に従軍、小田原北条氏滅亡後その旧領に移封されて江戸城に入った(相模,伊豆,武蔵,下総,上野などで約250万石)。秀吉の死後、関ヶ原の戦で石田三成を破り対抗勢力の一掃に成功、征夷大将軍となる。大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、名実共に天下を統一し武家諸法度などを定めて、幕府の基礎を固めた。

●徳川慶喜(1,837年~1,913年)

徳川 慶喜は、江戸幕府第15代征夷大将軍。江戸幕府最後の将軍あり日本史上最後の征夷大将軍。 政治的な力を持つ政権が自ら権力を手放すことは、様々な国の歴史を見てもあまり例がない。色々深慮遠謀されたとも言われるが、江戸城を無血開城し、大政奉還を決断した名君。徳川将軍の中で、在任中に江戸入城を果たさなかった唯一の将軍であり、また家康を上回って最も長命だった将軍である。

■明治維新を成し遂げた偉人

●吉田松陰(1,830年~1,859年)

長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者とされる。1,857年(安政4年)叔父の玉木文之進が開いていた私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、明治維新の指導者となる人材に思想的影響を与えた。討幕論を唱え、老中間部詮勝暗殺を画策して投獄され、安政の大獄により獄中で刑死した。

●西郷隆盛(1,828年~1,877年)

薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。明治維新の元勲、政治家で軍人。大久保利通などとともに1,867年(慶応3年)の王政復古に重要な役割を演じ、戊辰戦争を主導し征東軍の大総督参謀として勝海舟と会見、江戸城を無血開城させた。

明治政府では参議筆頭となり廃藩置県を尽力したが、征韓論を唱えて政府に容れられず、辞職し帰郷。私学校を経営し、士族授産(秩禄処分によって職を失った士族の救済のためにとられた明治政府による一連の政策)に尽力した。しかし中央政府との疎隔がはなはだしくなり、部下に擁立されて1,877年西南戦争を起し、ついに敗れて城山で自刃した。

●坂本龍馬(1,836年~1,867年)

幕末の志士。土佐藩の裕福な郷士の次男として生まれる。ペリー来航を背景に尊皇攘夷運動が高まる中、多くの人士と交流し、攘夷論を超えた国際的視野に立つ日本の未来像を描いた。脱藩と帰藩を繰り返す中で、勝海舟の神戸海軍操練所開設に尽力、若手浪人を集めて海軍創設と海上交易による株式会社設立の構想を持った。

1,865(慶応元)年には薩摩藩の援助の下、長崎で亀山社中(洋式銃砲の取り引きを行なう貿易商社)を設立。対立関係にあった薩摩・長州両藩を実利で結び、1,866年薩長同盟が成立、倒幕への大きな布石となる。亀山社中は土佐藩参政の後藤象二郎の尽力で、土佐藩づき商社であり海軍教育施設としての海援隊へと昇華した。

倒幕後、長崎から上京する藩船の中で後藤象二郎と国家構想「船中八策」をまとめ、後藤から土佐藩を通じて幕府に建白、1,867年に徳川慶喜をして大政奉還をせしめるに至った。その1月後、日本の未来を見ぬまま京都の近江屋で暗殺された。

●勝海舟(1,823年~1,899年)

幕末・明治の政治家。旗本小普請組勝小吉の長男。蘭学・兵学を学び、1,860年(万延元年0)幕府使節とともに、咸臨丸を指揮して渡米し幕府海軍育成に尽力した。1,863年神戸海軍操練所設立の許可を得、諸藩士、坂本竜馬ら脱藩浪士の教育にあたる。鳥羽・伏見の戦の後、海舟は徳川方軍事取扱として東征軍参謀西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を実現。

明治維新後は新旧両政権の事務引継ぎ,新政権への意見具申に努めた。1,872年海軍大輔就任。以後、参議兼海軍卿、元老院議官を務めるが、1,875年辞任。10年余りを旧幕臣の生活救済などにあてる。1,887年伯爵、翌年枢密顧問官となって活発な意見陳述を再開。清国との敵対,朝鮮への出兵に反対し続けた。

●前島密(1,835年~1,919年)

新潟の豪農上野家に生まれる。江戸で洋学を修め、全国を周遊後、幕臣前島家を継ぐ。イギリス留学から帰国後、駅逓頭・駅逓総監などを歴任し、我が国近代郵便制度の創設に尽力した。

1,881年(明治14年)の政変(参議大隈重信とその一派が政府から追放された事件。この事件により、1,890年(明治23年)に施行された大日本帝国憲法は、君主大権を残すビスマルク憲法を模範とすることが決まった)により政府を去り、立憲改進党の結成に参加。また、東京専門学校(現早稲田大学)校長、関西鉄道社長を務めた。1,888年(明治21年)逓信次官として官界に復帰、電話事業の創始にあたる。

●福沢諭吉(1,835年~1,901年)

幕末・明治の啓蒙思想家・教育者。豊前国中津藩士福沢百助の五男。大坂で緒方洪庵に蘭学を学び、江戸に蘭学塾を(のちの慶応義塾)を開設。さらに独学で英語を修得する。三度幕府遣外使節に随行して欧米を視察、『西洋事情』を刊行し欧米文明の紹介に努める。明治維新後は、新政府の招きに応ぜず、教育と啓蒙活動に専念した。『学問のすゝめ』は人間平等宣言と「一身独立・一国独立」の主張により、ベストセラーとなる。また「時事新報」を創刊し、政治・時事・社会問題や婦人問題などに幅広く論説を発表した。

●東郷平八郎(1,848年~1,934年)

父は鹿児島藩士。戊辰戦争に従軍。明治維新後、1,871年(明治4年)にイギリス海軍に留学。帰国後、海軍中尉となる。日清戦争では浪速艦長として活躍。その後、海軍大学校長、常備艦隊司令長官、舞鶴鎮守府司令長官等を歴任し、日露戦争前の36年に連合艦隊司令長官に就任。日露戦争ではみずから主要作戦を指揮し、バルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた。1,913年(大正2年)元帥。翌年から7年間東宮御学問所総裁をつとめた。海軍の長老として昭和期になってもその影響力が大きかった。

■経済の巨人

●渋沢栄一(1,840年~1,931年)

江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所をはじめとして、生涯に約500の企業の育成に係わり、同時に約600の社会公共事業や民間外交にも尽力した。「日本資本主義の父」とも言われる。

●松下幸之助(1,894年~1,989年)

Panasonic(パナソニック)を一代で築き上げた創業者。社長退任後は、なんと84歳という歳で「松下政経塾」を設立した。

●豊田喜一郎(1,894年~1,952年)

トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)の初代副社長であり、二代目社長。豊田自動織機製作所を設立し、常務取締役に就任。これがトヨタ自動車の前身となる。豊田喜一郎は自動車産業の成長性に目をつけ、同社内に自動車部門を設立し、1,937年にトヨタ自動車工業株式会社として独立。

●本田宗一郎(1,906年~1,991年)

「本田技研工業株式会社」(通称:ホンダ)の創始者。終戦後、ホンダを一代で世界的大企業にした。

●稲盛和夫(1,932年~)

京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。公益財団法人 稲盛財団理事長。中小企業経営者を育成する経営塾「盛和塾」塾長。日本航空名誉会長。日本航空(JAL)では会社更生法の適用から2年で営業利益2000億円というV字回復をやってのけた。

●井深大(1,908年~1,997年)

盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人であり、電子技術者および実業家。終戦直後の1946年に東京通信工業株式会社(後のソニー)を設立。今や世界トップクラスの電気系ブランドとして知られるソニーの礎を築いた。

■首相|困難な時期に日本をリード

●伊藤博文(1,841年~1,909年)

山口県生れの政治家。初め松下村塾に学び、木戸孝允に従い尊王攘夷運動に参加。明治憲法立案に当たる。1,885年(明治18年)内閣制度を創設、初代総理大臣となる。後、枢密院、貴族院の初代議長を歴任。日露戦争後、初代韓国統監となったが、1,909年(明治42年)ハルビンで韓国の独立運動家安重根に暗殺された。

●吉田茂(1,878年~1,967年)

東京都生れ。戦後、外相を経て自由党総裁となり、以後、五次にわたって内閣を組織、占領軍の指導の下、日本の立直しを遂行し、単独講和(サンフランシスコ講和条約)を行い日米安保体制の基本線を敷いた。

●池田隼人(1,899年~1,965年)

広島県生れ。1,949年政界入りし、吉田茂首相に重用され、大蔵大臣、通産大臣や自由党幹事長などの重要ポストを歴任。 60年安保改訂後辞職した岸信介の跡を継いで自由民主党総裁となり、首相に就任した。日本経済の高度成長期にあたり、「寛容と忍耐」のキャッチフレーズを打出しつつ,所得倍増計画や経済成長政策を採用し、また親米外交路線で64年まで政権を担当した。

●佐藤栄作(1,901年~1,975年)

山口県生れ。日本の鉄道官僚、政治家。岸信介は兄。「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。7年8ヶ月の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された。1974年にノーベル平和賞を受賞したが、死後に核持ち込みの密約が発覚する。

■天皇家|日本民族の精神的支柱

●推古天皇(554年~628年)

第33代の天皇で歴代天皇の中では最初の女帝。576年(敏達5年)敏達天皇の皇后となったが、585年(敏達14年)天皇を失い、蘇我馬子のために崇峻天皇が殺された後、擁立されて592年(崇峻5) 年、豊浦宮で即位し、後、大和小墾田に移り、小墾田宮に都した。甥の聖徳太子を立てて皇太子、摂政とし、治世中、太子を中心として冠位十二階の設定、『十七条憲法』の制定、暦の使用、『天皇記』『国記』などの編纂、遣隋使の派遣などが行われた。

●天智天皇(626年~672年)

第38代の天皇、一般には中大兄皇子として知られる。645年(皇極4年)、中臣鎌足らと蘇我氏を討ち大化改新を断行。孝徳、斉明両朝の皇太子として、また斉明崩御後も政治の実権を握り、近江遷都後の668年(天智7年)即位。治政の根幹は天皇制的中央集権の強化にありと考え、中国の制度、文物を積極的に移入し、近江令の制定、戸籍の整備などを行なった。

●明治天皇(1,852年~1,912年)

倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。1,867年、徳川慶喜の大政奉還により王政復古の大号令を発し、1,868年、「五箇条の御誓文」を宣布。江戸を東京と改称し、1,869年、東京に遷都。在位期間中、日清・日露の両戦争の戦勝で国力は伸長し、英明をうたわれ、『大帝』と称えられた。軍人勅諭・大日本帝国憲法・教育勅語の発布などを通して近代天皇制国家を確立した。

●昭和天皇(1,901年~1,989年)

1,941年12月太平洋戦争の開戦に際し「宣戦の詔書」を発する。多くの歴史学者が,当時の憲法で天皇は最高決定権をもっていたが、実際には政府や軍が決定した方針を承認するにすぎなかった,と指摘している。天皇はドイツ・イタリアとの三国同盟締結やアメリカ合衆国との開戦について深く憂慮していたにもかかわらず、政府や軍を牛耳っていた軍国主義者たちの前には無力だった、という主張である。その一方で、天皇は1,931年の満州事変から第2次世界大戦にいたるまでの日本の拡張主義の国策決定に関与した、と考える学者もいる。

いずれが真実であったにせよ、本土空襲が激化し敗戦がまぎれもない現実となった1,945年、日本の上層部は降伏受諾派と死を覚悟の本土決戦派に大きく二分され意見が対立した。天皇は平和を第一に考え,この論争に決着をつけた。1,945年8月、天皇はラジオを通じて「終戦の詔書」を放送(玉音放送)、ポツダム宣言受諾、終戦を国民に伝えた。本土が焦土と化すのを避け、日本民族消滅の危機を回避した。

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