
だから一番最初に言いたいことは、神を信ずるとか、五井先生を信ずるとかいうより先に、自分自身を信ずることなんです。
自分自身には力があるんだ、自分は神の子なんだ、自分は神の分生命だから、悪いことがある道理がない、あったとすれば、神様を離れていた時の自分の想いが、いわゆる消えてゆく姿として現れているので、それを知らない前の業が現れているので、自分が神の分生命としったその日からは、業はないんです、本当は。それを信じないといけません。
だから神様の世界は完全円満であって、自分は神の子だから素晴らしい能力があるんだということを信ずることなんですよ。
ところがそう言われても信じられないでしょ。信じられないから信じて行なっている私みたいな人がいますね。こういうのを、先覚者と言うんです。
先に分って、神と自分とは一つであるということが分って、力、能力が発揮出来た人、能力を出した人。普通の人よりも能力が出ています。”ああこういう人がいるんだな、それじゃこの人の言うこと、やることを信じよう”と、こういうことになるんですね。
だから自分で自分の力を信じられる人は、誰にも頼ることはない。自分一人で生きられる訳ですよ。自分の中の神様を出せばいいんだからね。
結局私を信じろとか、宗教を信じろというのは、各自の自分の中の力を出させるために、こういう宗教団体なんかがあるんですよ。教祖だとか会長だとかがいるんです。
だから自分自身で力をどんどん出せれば誰もいらないんです。自分でやったらいいんです。
だが、自分で出せないと思ったら、”五井先生を信じよう、五井先生の言うことは間違いないから信じよう”と思って信じればいいんです。分りますね。
☆この祈りは五井先生と神界とのお約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。
まず第一番に自分を信じることなんです、根本は。自分は神の子であって、無限の力を持っているんだということを信じることが第一なんだけれども、出来ないから先に本当の力を出した人を信じる。
その生きてきた道を信じる。その人の書いたもの、その人のしゃべることを信じて、”ああそうなんだ、ああやっぱり自分は神の子なんだな、 神の分生命なんだな”と。
もしここに不幸や災難や病気が現れているとするならば、それは過去世の因縁が、神の子であることを知らなかった時の想い、神様を離れていた時の想いが現れて消えてゆく姿なんだなと思うんです。
【出典】「我を極める–新しい人生観の発見」五井 昌久著より 白光誌 H24.4月号